今、eスポーツをはじめとして、様々な新しいスポーツが盛り上がりを見せています。ですが今回は西欧と日本のスポーツの歴史を比較し、スポーツの起源について考えてみました。スポーツなんてやってる余裕さえなかった時代。体を鍛えることが必須だった時代。色々ありますが、今の時代に生まれたことを、きっとあなたも感謝したくなるはず!

もくじ

  • そもそもスポーツは、お金持ちのみに許された特権だった
  • 産業革命以降、一般の人々が楽しめるスポーツへ
  • 日本のスポーツの歴史
  • 江戸時代の日本人の驚くべき身体能力

そもそもスポーツは、お金持ちのみに許された特権だった

スポーツ(sport)の語源は、ラテン語のdeportare(ある物を別の場所に運び去る・憂いを持ち去る・働かない)なんだとか。“働かない”という意味がありますが、これが古フランス語のdesporter(気晴らしをする・遊ぶ・楽しむ)になり、英語のsportになったそうです。

またスポーツの始まりは17世紀~18世紀のイギリスに現れた“ジェントリ(gentry)”という、農民と貴族の間に生まれた地主階級のみに許された、鹿狩りや狐狩りといった狩猟だとも言われています。ちなみにこの“ジェントリ”、後に“ジェントルマン”の語源になりました。

こういった狩猟がスポーツの始まりでした。

つまり今では誰でも楽しめるスポーツですが、昔は働かなくてもいい、特権階級のみに許された贅沢な遊びだったのです。

そりゃそうですよね。昔は土木工事も農業も家事もほとんどが人力。一つの仕事をするにも大変な労力と時間がかかりますから、今のような週休2日なんていう悠長なことなど言ってられません。庶民はほぼ休む暇なく働いていますから、休みの日までわざわざ体を動かそうとは思わないでしょうね。

17~18世紀頃のイギリスで、ジェントリによって生み出された近代スポーツには、後にサッカーとラグビーに分かれたフットボールをはじめとし、ボクシング、テニス、フェンシングなどがあります。ジェントリは都会と田舎の両方を行き来していたので、上流社会のマナーと田舎の習慣が融合しながら、これらのスポーツが生まれていったと言われています。

産業革命以降、一般の人々が楽しめるスポーツへ

17世紀、イングランドの街中で行われていたフットボール。
楽しそうだけど、激しすぎる…。

18世紀後半から19世紀に起こった産業革命以降、一般の人々も生活水準が向上して余暇が生まれ、特権階級だけが楽しんでいたスポーツも広く一般に広がるようになりました。そして19世紀以降にアメリカに大衆文化が生まれると、スポーツも大衆が楽しめるものになりました。

スポーツを楽しむにはある程度の教養とお金、そして時間がないとダメってことなんですね。そして平和で豊かな世の中でないと、スポーツは楽しめないってことですね。

日本のスポーツの歴史

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一方日本では、古くから相撲、乗馬、弓道、狩猟、蹴鞠、剣術などの武術が行われてきました。

特に相撲は『古事記』にも出てくるほどで、出雲の国の大国主命(オオクニヌシノミコト)が天照大神(アマテラスオオミカミ)に出雲の国をお譲りする際、大国主命の息子の建御名方(タケミナカタ)と天照大神の使者の建御雷神(タケミカヅチ)が、相撲で勝負したと言われています。また『日本書紀』にも出雲国の野見宿禰(ノミノスクネ)が大和国の當麻蹴速(タイマノケハヤ)と、天皇の前で力競べをして倒したという話があります。

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また乗馬と弓道は武士にとって最も重んじられた武術でした。これら日本に古くからあるスポーツは神事と深い繋がりがあり、節目ごとに神様に奉納されます。今も明治神宮では横綱の奉納土俵入りが行われ、流鏑馬神事や御的(おまと)神事でも、国の安泰をお祈りしています。

蹴鞠も平安時代に爆発的に流行し、信じられないような超絶技能を持った名プレーヤーを輩出しました。詳しくは
『そもそもルールが全く違う?日本サッカーの意外すぎる歴史とは?』
という記事に書いていますので、そちらをどうぞ。

https://spoit.me/posts/japanese_soccer_history

江戸時代の日本人の驚くべき身体能力

そして昔の人がどれだけ身体能力が優れていたか?についてですが、江戸時代の日本人は、一日に十里(40km)歩いて一人前の男として認められたとか。つまり東海道の起点・日本橋を朝4時に出発した場合、品川宿・川崎宿・神奈川宿を経て、夕方に保土谷宿や戸塚宿に到着し、一泊するのが普通だったそうです。女性や子供でも神奈川宿くらいまでは歩いたといいますから驚きですね。

ちなみに江戸から京都まで、普通の人は13日~15日で到着しました。籠や馬を使うこともありますが、一日平均33km歩く計算です。
手紙は飛脚を使い3~4日で届いたそうです。もっとも飛脚は一人が全行程を走るわけではなく、宿ごとにリレー方式で手紙を次の飛脚に手渡していたんですけどね。

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そういえば江戸時代の初めに徳川家康が行った、人力による江戸の町大改造もスケールが大きくてびっくりです。

例えば利根川は、元々江戸湾(現在の東京湾)に注いでいたのですが、約60年かけて現在の位置、千葉県と茨城県の県境あたりから太平洋に注ぐように付け替えられました。これももちろん人力です。この大工事によって、利根川の氾濫で度々水浸しになっていた江戸の町は、大都市として発展することができるようになりました。

また家康は、江戸の町に日本初の上水道・神田上水を通すため、神田台地を削って渓谷のような深い切通しを掘削しました。今もJR御茶の水駅近くの聖橋あたりに行くと、この切通しの様子がよくわかります。これを人力で掘削したと思うと、江戸時代の人のパワーに圧倒されてしまいます。

その他にも、新しい田畑を開拓するための農業用水も、日本全国に作られています。六郷用水(1611年、狛江市-世田谷区-大田区)、大丸用水(1600年代、稲城市-川崎市)、玉川上水(1654年、羽村市-新宿区)、千川用水(1696年、西東京市-武蔵野市-豊島区)、二ヶ領用水(1611年、川崎市)、これら全部、江戸時代に人力で作られました。
また防衛のためのお堀や、物流のための人工河川もたくさん作られています。

また幕末にペリーが来航した時、江戸幕府は江戸を守るために、東京湾に防衛のための海上砲台をつくりました。これが“お台場”ですが、品川の御殿山を削り、わずか9ヶ月で6基もの海上砲台を造ったそうです。これも人力です。

手前の2つの小島が幕末に作られたお台場です。

しかし考えてみると、江戸時代より前の時代も、加藤清正が築城した熊本城、豊臣秀吉の大阪城、織田信長の安土城など、どれも凄いですね。

そういう風に考えると、今の私達も昔の人に負けていられない、という気になってきます。

4年後に行われる東京オリンピックの新国立競技場建設が、もしかすると間に合わないかも? なんて言われていますが、重機のない時代に人力でここまでやってのけたご先祖様に笑われないよう、頑張らないといけませんね。

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